たりないくらし

起床。布団の上に感じるずっしりとした重みは猫3匹分のそれだ。いつか圧死するんじゃないかと思えるほどにみんな立派にすくすくと育っている。いや、寝圧死か。発音にすると、ネアッシ。横棒一本付け足せば、新種のUMAのようにも見える。オカルトマニアにはたまらない寝死にスタイル決定だ。

さて、寝起きはなるべくコーヒーを飲むようにしている。ひとまず豆をAmazonで激安購入したハリオのミルで挽いたものを、ハンドドリップなのかエアロプレスなのか、どちらかの抽出機にぶちこんでお湯と注ぎ入れていく。庭からはかすかな虫の音が流れ込み、今日はそよ風が心地いい。湯気が昇り立つこの瞬間だけは、精神と時の部屋にいるような感覚とはこんなもんかいなと想像してみる。

ふと、数年前、島根に移り住んだ知人の家に数日お暇していたときのことを思い出した。朝、彼手作りの一汁三菜の飯を食べさせてもらった光景が今でもくっきりと脳に残っている。

「QOL高めってこういうことなのかもね~」

彼かぼくかのどちらかがそう言ったような気もするが、「QOL=クオリティオブライフ」という言葉をやや冷やかすかのような言い草で仕事前の朝食をのどかに過ごしていた。言葉の意味はどうにしろ、丁寧そうな手間が事実そこにはあって、巻き込まれ、体感したぼくからすれば、「暮らすとは」について再考するためには十分すぎる時間だった。

そして、今、数年前と変わらない冷ややかさで、QOL高めで、丁寧な暮らしとも捉われかねない朝をぼくも迎えてしまっている。そう、迎えてしまっているのだ。たいした意図はしていない。

はっきりさせよう。丁寧なわけではなく、ただ、足りないだけなのだ。

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